camuna’s diary

自分らしい暮らし方、はたらき方について綴ってます

15歳、東京一人暮らしが始まる

一人暮らしの経緯

15歳の次男が4月から東京で一人暮らしをする

東京の通信制高校に週3日通学、残りの日はバイトする予定だ

その通信制高校は全国に校舎があって、もちろん関西にもあるから実家からそこに通えばいいのに

でも彼が選択したのは東京

なぜ東京なのか?と理由を聞いたが、答えは東京というところに意味があるんだと

んんん…わかるようなわからんような

 

でもまぁ、しゃーない

ありえないし、明らかに無謀だし、不安だらけの選択だけど

彼のワクワク感に賭けることにした

 

東京で一人暮らしするってワクワクだけではどうにもならんし、いろんなリスクもある

 

次男と話し合って約束ごとを決めた

家賃も含め生活費については、最初の半年は補助する。10月からは自分でバイトで稼いだお金でやっていくという約束になっている

つまりは、やっていけなくなった段階で実家へ強制送還

 

そんなリスクがありながらも彼は東京を選んだ。ぬくぬくできる実家ではなく。

悩んで残った答えが、15歳、東京一人暮らし

 

おー。よーやるなぁ。

 

家探しするぞ

拠点が関西なので、東京の家探しは短期決戦

 

東京行く前に準備

誰と行く?

まずは、既に東京に住んでいる長男のスケジュールを丸2日押さえた。

長男は社会人でいろんなライフワークもしてるから多忙なのにすまないなぁ。

地理感もあり、交渉能力も高く、一人暮らしの経験値視点で見てくれるので、こういう時は世間知らずの私よりもむちゃくちゃ頼りになる。

 

どこに行く?

ネットを見ると、いろんな賃貸仲介業者があるが、いいところを選定しなくては。

Google MAPなどから★の数やコメントを見て、良心的な対応をしていそうなところを選んだ

大手と地元、それぞれのメリットデメリットもネット情報で確認した

まずは候補駅の地元の業者さんにメールで事前問い合わせ

今回の場合、ネックになるのが、高校生入居可かどうか

物件ごとに違うが可能なところもあるとの返事をもらった

現地に伺い、相談する日程が決まった

 

さぁ、短期決戦

新幹線で東京に行き、見知らぬ地の家を2日間で決めなくちゃいけない

 

 

 

2019-2020年末年始 お笑い番組見まくった

 

年始に書いていたblog

下書きのまま忘れてた

旬は過ぎたがあげておこ  今年の年末の備忘にしておこ

 

 

2019-2020のお正月休みは、なるべく家にいるぞ!と決めていた

12月ちょっと疲れていたこともあったので

一番リラックス効果のあるお笑い番組を見ると決めていた

年末年始はSPが多くってほんと楽しい

 

嵐がレモンを持っているテレビ情報誌を買った

見たい番組に付箋をはりまくった

すべて録画予約した

見逃さないように最大限努力した。よし完璧。

 

楽しんだ番組

M-1 (敗者復活戦から終了後のGYAOまで、しがんでしがんでしがみつくしました)

ワイドナショー年末2019

八方今田のよしもと楽屋ニュース

ドラえもん誕生50年 みんなみんなかなえてくれる♪ひみつ道具と未来

ドキュメント72時間年末スペシャル2019

アメトーク年末5時間SP

ダウンタウンガキの使いやあらへんで!大晦日スペシャ

孤独のグルメ

ぐるナイおもしろ荘

フットンダ王決定戦

 

爆笑ヒットパレード

ドリーム東西ネタ合戦

新春TV放談

千原ジュニアの座王

前山田✖️体育のワンルーム⭐︎ミュージック

 

以上

おもしろかった

 

 

 

 

あと2ヶ月で家を出ていく

次男が東京の高校に行くことに決まった。

決まってしまった。

あと2ヶ月で家をでていく。

でて行ってしまう。

 

周りからは大丈夫かと心配され、わたし自身も心配が膨らんでいく。

 

自分で起きて学校にいける?

料理は自分でできるの?

限られたお金で暮らしていける?

初めてのアルバイトちゃんとできる?

 

心配なので、家にいる間になるべく練習、準備しておくようにガミガミいっているが、毎日ノンキに遊んでる。

 

そんな姿に切迫感がないとイライラして怒ってたけど、ふと、昨日の晩…

 

そんなこと心配してもどうなるかわからんか。

それよりも…

 

と思った。

 

きっかけは

次男が『友達って変わっていってずっと今の友達と遊べないやん。さびしい』と言ったこと。

 

わたしとこの子、一緒に過ごす生活

わたしの人生の中で、あと2ヶ月だけかもしれない。

ずっと…はない

 

この2ヶ月は、笑って楽しく過ごそうと思う

 

 

 

 

 

81歳の母がキライだ

わたしにとっての母

結婚するまで24年間家庭でやさしく育ててくれた。3人兄弟の末っ子で唯一の女の子だったわたしは、小さい頃からうっすら「わたし、甘やかされてるな」と思っていた。

一緒に住むまで何の違和感もないありがた〜い母だった。

 

3年前同居してから、わたしは母にイライラしている

   

そもそも母という女性

 

基本あまりものごとを深く考えない。キモが座っているというより「わからんから、知らんから、よしなにやっといて」というスタンス。

離婚や不登校でわたしが落ち込んでいる時も、ノウテンキだった。なにが起こってるのかさえも聞かない。ムスメが、孫が、大変な時なのにいつもと変わらずおやつを持ってきては帰っていった。根掘り葉掘り聴かないのが助かった部分でもあり、相談相手にはならないという頼りなさもあった。

 

 

自分の意見、気持ちを言わない

 

お寿司盛り合わせ。

誕生日の母に好きなネタをお先にどうぞと勧めた。

取らない、というより取れない。

わたしたちに先に好きなものを取ってという。

ここは取ってくれ〜!誕生日なんやから〜!

 

一事が万事これ

今日お風呂入りたいか?(あんたらが入るなら)

旅行どこへ行きたい?(どこでもいい)

なに食べたい?(なんでもいい)

 

そのくせ、頻繁にギョウザを買ってくる。

食べたいものはある

 

 

ユーモアが通じない

お金の管理がルーズでできないので、わたしが代行している。この前、孫にクリスマスとお年玉を渡すだろうと母にいくら用意するのか尋ねた。総額いくらか検討がつけられないみたいだったので、渡したい金額を記入できるように表を作って渡した。

横軸  クリスマス/お年玉

縦軸  孫の名前

その孫3人の下にこっそりわたしの名前も忍ばせておいた。

「なんであんたの名前並べて書いてるんよ〜笑」「キャハハ、冗談」

みたいなやりとりを期待して…

 

わたしのお年玉の欄に10000円記入して持ってきた。

笑うこともなく真顔で「これからは自分で出金メモしとかなあかん。怖いわ」と。

意味がわからなかったが、よーく聞くと、つまりはわたしがお金を騙して取ろうとしたと思ったらしい。

 

自分のムスメをそう思うのか。

ショックを受けたし、落胆したし、こんないたずらしなきゃよかったと後悔した。

 

ユーモアは通じない

 

  

なぜキライなのか

高齢にもなったしアタマの回転もわるくなるだろう、もともとの性格もあるだろう、そんなことはわかっているのになぜイライラするのか。

 

たぶん、離婚前のわたしの人生と重なっているからだと思った。

離婚を機にわたしは明確にこう生きたいと思うものができた。

 

たとえば…

  • 世間体で決めていた→自分の価値観で決めたい
  • 好きなものをガマン→やりたいことはやる
  • まじめに→ユーモアのある人生
  • いい人と思われたい→無理にいい人ぶらない 

 

わたしの嫌な部分が見えるからキライなんだ。

 

そんな母だけど

(飲んで帰るので)夜遅くなるという50歳のムスメに、夜道気をつけるようにいう。

 

きっと、亡くなる時は泣いてしまうんだろうと思う。怒ることなくゆるゆるとやさしく育ててくれたことを思い出し、感謝の涙を流すんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

はてなブログを再開することにした

ブログを久しぶりに書いてみようと思った

きっかけは、長男としゃべっていて

そういうことブログに書いたらいい。インターネットは気軽に本音が吐き出せる

と勧められたから。

 

ションボリおばさん

2019年の11月後半から今日まで、ションボリおばさんになっている。

なんでこんなにどよーんとなってるんだろ。

理由を自分で考えてみた。

 

体力の限界

11月予定詰め込みすぎた。何にもない日が1日もなかった。

 

・お仕事は基本週4日。

・お休みの日、別のお仕事があった。

・母が急に入院しそのお見舞いとか用意とか。

・北海道旅行2泊3日。

 

50歳おばさんには、体力を回復する余裕が必要だった。

でも、どこかで言い訳かなとも思っている。

一番ひびいているのが次。

 

自信喪失  

仕事でミスが続いた。

単純な事務的確認漏れとスケジュールのダブルブッキングを見つけた。

幸い事前に防ぐことができたのでよかった。

事務処理能力は高くないくせに、私の奥底にある完璧主義が私を許さない。

対人支援の仕事をしているが、そこでもサポートがうまくいかないと感じたことが起こった。

自分の力の無さなのかと自分を責めてしまう。

 

孤独感   

身近な人がヒタヒタといなくなるような気がして怖くなった。

 

1人目、大事な先輩でもあり呑み仲間でもあり。人情深いステキな大将のいる料理屋やオトナな呑み方を教えてもらった。病が急すぎて心がついていかない。励ましたらいいのか、一緒に泣けばいいのか、どうしていいのかわからない。

2人目、私の母。上にも書いたように、心臓に水が溜まり2回目の入院。慢性心不全。心臓はよくはならない。明らかに体が弱ってきている。

3人目、叔母さん。つまり亡き父のお姉さん。正直そんなに日頃行き来している間柄ではないんだけど、ご高齢。自分のルーツが一つずつ消えていく感じがする。ろうそくが一本一本消えていく感じ。

 

それに大きなダメージがこれ。

中3の次男が来春から東京の高校に行くかもしれない。家を出る。「かわいい子には旅をさせよ」なのはわかってる。でも、さみしい。この子が家にいなくなると思うと涙が出る。

 

急に私の周りから誰もいなくなる気配がしてきた。3年前に離婚した時から自分の生活を楽しもうと過ごしてきた。会社の仲間と飲みにもいくし、友達とも遊びに行く。仕事も精一杯。ここにきて、このさみしい気持ちはなんだろう。

 

1人の生活への覚悟ができてないんだと思う。

 

はは〜ん

しょんぼり中っていろいろ考える。

落ち込んでるとロクなこと考えないでどんどん落ち込んでいくんだけど、2週間弱経つと、ちょっとだけ冷静になった。

病の先輩へどんなメッセージが励みになるんだろとか、サポートの仕事がうまくいかないなぁとか…

って結局、自分に何かできるはずって思ってるから、できてない自分にペケがついてる。

はは〜ん。できるはず。こりゃ慢心だな。

 

 

そうだった、そうだった。

 

 

 

マチネの終わりに

平野啓一郎の「マチネの終わりに」を読んだ。

 

本の中にはこんな言葉が…

 

「変えられるのは未来だけっておもうけど、未来は過去を変えている…」

 

この本を読みながら

久しぶりに元夫との結婚生活について想いを重ねていた。

 

元夫との過去を消したい。

 

苦しまぎれだったのか本音なのかわからないが、

口論になりわたしに浴びせかけた屈辱的な言葉を、

そんな言葉を吐く人の存在を、

その人との過去の私を、

 

消したい。

 

砂の城が大波にさらわれていくように、

あっけなく、もろく、「ほんとうは形のないもの」を信じて守って生きていた。

 

いつの頃からか、感性が合わないと思いつつ、そんな砂の城を守ることだけを人生の目的にしていた。

 

 

***

 

 

6月は、複雑な気持ちになる月。

 

子どもたちの誕生月なので、

どうしても家族のにおいがする。

 

元夫側のおじいちゃんおばあちゃんが、お正月と誕生日だけ、書留でお金を送ってくる。おもーいメッセージを添えて。

 

「会いたい。もう歳だからそのことを考えて、会いに来て欲しい。ママに言って」と。

 

私の気持ちがグラグラ揺れる。

 

こんなかたちにしたのは、お宅の息子やろーが。

なんにもなかったように、

なんにも私に自分たちの気持ちを伝えずに、

自分たちの希望だけ伝えてくる。

 

かわいそうだと思う反面

やっぱりこの家族、私はムリだと思う。

 

自分の本当の気持ちや

価値観を突きつけてくる相手に、

「向き合うこと」から逃げる人たち。

 

そんな人になりたくない。

 

こんな、みみちぃ気持ちを持ちたくないけど、まだまだ私の中にある正直な気持ち。

 

 

マチネを読んで、

自分の感性に合う人に囲まれて生きていきたいと、

 

改めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おかわり

褒められたとき、

自己肯定感の低い私は、

「そんなことないです〜」なんて、手を振ってしまう。

 

先輩に教えてもらった魔法のコトバ。

「おかわり🍚」

褒めてもらったら、「おかわり」って手を出して、もう一回心地いい言葉を聞かせてもらう

 

自分にプラスの栄養補給。